井川遥が人工肛門に 映画『平場の月』が教えてくれる見えない障害と障害年金という選択肢

「井川遥が人工肛門の役を演じている」

この一文に驚きを感じた方も多いのではないでしょうか。話題の映画『平場の月』は、静かな恋愛映画でありながら、見た目では分からない障害の現実を私たちに突きつけます。

特別視も感動演出もされない日常の中の障害。その描写は、障害年金の相談現場で日々向き合っている現実と重なります。本記事では、『平場の月』を通して見えてきた障害のリアルと、障害年金という制度についてお伝えします。

映画『平場の月』が描いた「想定外の障害の描き方」

映画『平場の月』が観客の心に残った最大の理由は、人工肛門という設定を特別扱いしなかった点にあります。病気や障害を感動のための装置にせず、ただ「その人の日常の一部」として描いています。

井川遥さんが演じる女性は、外見上はごく普通の生活を送っています。仕事をし、人と会話をし、恋もします。しかし、その裏側には人工肛門を抱えて生きる現実があります。映画はそれを大げさに語らず、淡々と映し出します。

この距離感こそが、多くの観客にとって想定外だったのです。

見た目では分からない障害と障害年金の現実

人工肛門は、障害年金の対象となる可能性がある障害です。しかし、その事実はあまり知られていません。理由の一つは、外見では分かりにくい障害だからです。

障害年金の相談現場では、
「普通に生活しているので対象外だと思っていました」
「働いているから無理だと思っていました」
という声をよく耳にします。

見た目が元気そうであっても、日常生活に制限があり、体調や精神面に大きな負担を抱えている方は少なくありません。映画の描写は、そうした現実をそのまま映し出しています。

障害年金は「働けない人だけの制度」ではありません

障害年金というと、寝たきりや常時介助が必要な状態を想像される方が多いかもしれません。しかし実際には、人工肛門、内部障害、精神疾患など、見えにくい障害でも支給されるケースがあります。

働いているから対象外、ということもありません。治療を続けながら働いている方や、収入があっても生活に支障が出ている方が、障害年金を受給している例もあります。

重要なのは、「どれだけ働けているか」ではなく、「日常生活や就労にどの程度の制限があるか」です。

申請できない最大の理由は「自分は対象外だと思い込むこと」

障害年金の申請が進まない理由は、制度の難しさ以上に心理的なハードルにあります。

「もっと大変な人がいるのではないか」
「この程度で相談していいのだろうか」

こうした遠慮や自己否定によって、本来受け取れる可能性のある障害年金を諦めてしまう方が多いのです。

『平場の月』で人工肛門について多く語られない演出は、まさにこの「言い出しづらさ」を象徴しているように感じました。

障害年金は生活を立て直すための現実的な支えです

障害年金は、人生を諦めるための制度ではありません。治療を続けながら生活を安定させるための支えです。

働きながら受給することも可能ですし、収入があるから一切対象にならない制度でもありません。診断書の内容や日常生活への影響、これまでの経過などを総合的に判断して決まります。

インターネットの情報だけで自己判断せず、専門家に相談することが大切です。

一人で悩まず、障害年金についてまずは相談してください

『平場の月』は、障害を特別視せず、一人の人生として描きました。障害年金も同じです。支援を受けることは、甘えでも弱さでもありません。

「自分が対象になるのか分からない」
「相談するほどではない気がする」

そう感じている段階こそ、相談する価値があります。
障害年金は、必要な人が正当に使っていい制度です。

一人で抱え込まず、まずは障害年金の専門家に相談してください。
それが、これからの生活を守るための第一歩になります。

障害年金コラムの関連記事はこちら